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ホーム > 講座 > ノヤン先生のマーケティング講座 > 100年前にSTPを提唱していたランチェスター!

2009.11.18

マーケティングのスタンダード「ランチェスターの法則」。第一次世界大戦まで遡る意外なルーツとコトラーの「STP」との関係を説明します。

さて、今日はランチェスターの話でもしようかの。
なんで今さらランチェスターなんだって?実はの、最近、マーケティングを学んでいる若い人に、尊敬するマーケターは誰じゃい?と質問したら「ランチェスターです」という答えが返ってきたんじゃ。ワシャびっくりしての。それで一度ちゃんと説明せねばなるまい、と考えたんじゃよ。
何しろランチェスターはマーケティングの「マ」の字も知らなかった人なんじゃからの。

ランチェスターが考案した有名な「ランチェスターの法則」は、代表的なマーケティング戦略のひとつに例えられるんじゃ。しかも、ランチェスターから見ればずっと後の時代のP・コトラーの提唱したSTP戦略と非常に近い部分が多く、STPを統計学的に説明しようと思えば、ランチェスターを使うのが最も判りやすいんじゃよ。
ランチェスター理論は基本的に弱者が強者を攻撃することを前提に作られているので、局地戦、一点突破、一騎打ちなど、数的に劣勢の軍がいかに強者を攻撃すべきか、を説明してくれているんじゃ。

今日はランチェスターの法則の「数式」ではなくてランチェスターその人に焦点を当てて説明することにしようかの。

*

フレデリック・ランチェスター(Frederick W. Lanchester)は1868年、つまり今から150年近くも昔に生まれたイギリスの人で、自動車や、この頃実用化された航空機のエンジニアだったんじゃよ。時代で言えば第一次世界大戦の頃に活躍した人じゃな。
とにかく非常に論理的な思考回路の持ち主で、1916年に48歳の時に著した「戦争と飛行機-第四の武器の曙」という本の中で航空戦の損害率の研究から戦争を数学的に分析し、数式によって勝敗や損耗率を計算する理論を構築したんじゃよ。

面白いのは、彼は終生マーケティングとは全然縁の無い人で、自分の理論がその死後に「マーケティング」や「企業経営」という分野で応用をされるとは思ってもいなかったことじゃろうな。 きっと今頃は生まれ故郷のお墓の中でびっくりしていることじゃろうて。

時はまさに第一次世界大戦の暗雲がヨーロッパを覆っている頃、航空機のエンジニアだったランチェスターは自分も製造に関わったイギリス軍の戦闘機がドイツ軍機との空中戦で撃墜されると、その残骸を詳しく調査したんじゃ。

  • どこに何発の弾が命中したか

  • その飛行機は撃墜されるまでに何発の弾丸を発射したか

  • その時の敵の戦闘機との数の比較

  • 敵の戦闘機の武器はどんな武器だったのか(機関砲の数と口径などの性能)

  • パイロットの技量

こうした調査データから、撃墜との因果関係が最も大きい要素を解き明かそうとしたんじゃな。
そしてその研究結果を航空機の設計に応用して少しでも母国の被害を小さくできないか、と考えたのじゃろう。偉いもんじゃわい。

こうした地道な調査で空中戦の結果を詳しく分析する中で、空中戦における戦闘機の損害を定量的に比較分析する手法を発見し、そこから戦いの法則を方程式に落とし込んで定理にまとめたんじゃ。
これが後にマーケティングの古典のひとつになるランチェスター理論の原型なんじゃよ。

基本的には「兵数」と持っている「武器の性能」を戦闘力の変数として計算するんじゃ。「武器の性能」とは、飛行機で言えば搭載している機関砲の数や性能、パイロットの技量などがこの変数になるんじゃな。ランチェスターの法則では「E」(武器効率)と表現するんじゃ。
逆に武器や技量に差が無ければ兵数の多い方が勝つことになる。1人の敵に3人掛かりで戦えば1人の方の勝ち目は無いじゃろう。
500人と300人の部隊が同じ武器で戦った場合をランチェスターの法則で計算すれば、300人の部隊が全滅した時、500人の部隊の戦死者は100人程度だと試算できるんじゃ。
つまり、兵力を持っている軍は常に相手を圧倒する兵力を戦場に投入すれば,戦いに速く勝てるだけでなく、自軍の損害も軽微に抑えることができるんじゃよ。

このランチェスターの理論は第二次世界大戦の時代にアメリカの軍事戦略の方程式として大きく発展したんじゃ。
これは「オペレーションズ・リサーチ」(OR:operations research)と呼ばれ、コロンビア大学の高等数学の研究室が中心となってランチェスターをベースに考案された統計モデルなんじゃ。これは兵団や艦隊を動かす作戦計画が最も効率的に遂行できる方法を探る科学的な技法なんじゃよ。

アメリカが参戦する前のヨーロッパは、ドイツの電撃作戦によってほとんどヒトラーの第三帝国の勢力下になってしまい、僅かにチャーチル率いるイギリスだけが、英仏海峡に守られて細々と独立を維持しておったんじゃ。
それでも毎日飛来するドイツ軍機と戦うだけの物資が不足しておったんじゃよ。

アメリカとしては、なんとしてもイギリスを守りたいので、どんどん補給物資や兵員を送ろうとするのじゃが、大西洋にはドイツのUボートと呼ばれる潜水艦が多数展開していて、補給物資を満載した貨物船が次々に撃沈されてしまったんじゃ。
Uボートがウヨウヨしている大西洋で「イギリスに必要な量の物資を届けるには何隻の船団を組んで何隻の護衛軍艦を付けたら良いのか」という作戦計画の立案に、このランチェスター理論をベースにしたオペレーションズ・リサーチ(OR)が大活躍したんじゃ。

敵の潜水艦と味方駆逐艦の戦闘力を比較し、その海域の潜水艦を全部撃沈した時に、味方は何隻の貨物船が残ってイギリスの港に入港できるか、という計算で、ランチェスター理論を代表する「第2法則」(確率戦闘の法則)を用いて算出したんじゃ。
もちろん、目的はイギリスを守ることじゃから、そのために必要な物資の量から、大西洋で撃沈されて失う量を計算して、物資や船の数を決めたんじゃ。精神論の入る隙は無いんじゃな。

実はこのORは大西洋・ヨーロッパ戦線で使われて精度を上げた後、日本との太平洋戦線にも大規模に活用されたんじゃ。
つまり、「ランチェスター理論に裏付けられた物量作戦 VS 補給ラインの破綻した大和魂」という構図の戦いが南太平洋の島々で行われ、日本は惨敗に次ぐ惨敗で敗戦へと追い込まれたんじゃ。
まるでマーケティングを否定して、昔ながらの足と汗と精神論だけで戦って外資系企業に顧客を奪われている日本企業のようじゃの。

しかし、転んでもタダでは起きないのが日本人なんじゃな。この、日本軍がコテンパンにやられたランチェスター理論を、戦後になって経営コンサルタントの田岡信夫氏を中心にした日本人の手で経営戦略や販売戦略、マーケティング戦略に発展させたんじゃよ。
つまり、ランチェスター理論とは、100年前にイギリスで生まれ、アメリカで軍事用に発展し、その後日本で経営戦略として確立されたものなんじゃ。

ランチェスター理論の特徴は、「弱者の戦略」と「強者の戦略」という立場の異なる戦略をもっている点じゃな。

例えばBtoBの直販営業部隊を持つ企業ならその競合要素を、営業の数、営業拠点の数と密度、自社のブランド、自社製品のブランド、営業や技術要員のスキルレベル、価格優位性などに細分化しそれぞれを比較した戦略を立案できるところなんじゃ。

「弱者の戦略」の中にもいくつかの戦略が在るんじゃが、そのひとつ「局地戦戦略」で説明できる典型的な事例が織田信長の「桶狭間の合戦」なんじゃよ。

大軍がその威力を発揮するのは包囲戦法じゃ。1人の敵に3人で掛かる、というやつじゃな。
信長はその包囲戦法が取りにくい狭い地形を選び、敵の本陣5000人の中のさらに敵将今川義元の護衛部隊約2000人に対して、自軍の総ての戦力(2000人)を集中投入したんじゃよ。兵力が同じであれば準備を整えて奇襲を掛けた方と掛けられた方では優位性は明らかじゃろう。
その結果信長は総兵力では25000人対2000人という圧倒的に不利な状況にも関わらず、「局地で瞬間的に」互角以上の状況を作りだして日本の歴史上でも希な大勝利を収めたんじゃ。さすがは天才じゃの。

その逆で、徳川家康と武田信玄が戦った「三方ヶ原の戦い」では徳川軍10000人に対し、武田軍は30000人近い軍勢を持っており、この兵力差でありながら、篭城も奇襲もせずに広い地形で正面から戦ったため、徳川軍は惨敗を喫し、多くの家臣を失い、家康も命からがら浜松城に逃げ帰ったんじゃ。しかもこの戦いで、武田軍の損害はほとんど無かったんじゃよ。
これは弱者が絶対に採ってはいけない手法なのじゃが、家康が愚かなのではなく、そういう状況を作り出すための戦略的かつ心理的な作戦で武田信玄がいかに優れた戦略家だったかの証明じゃろうとワシは考えておるんじゃ。

なにしろ信玄は家康が浜松城に篭城しようとしていると見るや、その城を囲みもせずにその目の前を軍勢の最も弱い横腹を見せながら悠々と横切って西へ向かったんじゃ。つまり「無視」じゃな。戦う気の無いやつの城なんぞ囲んでも仕方がないから、無視してとっとと京の織田信長と決戦しよう、というポーズを取ったんじゃ。
家康としては城から信玄の後姿を見送ることになり、武士としてこれ程の屈辱は無かったんじゃ。たまりかねた家康が全軍を率いて出陣してきたところで、広い三方ヶ原に誘い出してコテンパンに叩きのめしたんじゃよ。戦略家の考えることは凄いもんじゃの。

ちなみに織田信長亡き後に天下を統一した豊臣秀吉はその生涯を通じて、兵力が互角な相手との戦いをしていないんじゃ。
大抵は4倍から6倍、少ないときでも2倍以上の兵力差で戦に臨んだのじゃよ。天下分け目と言われた明智光秀との山崎の合戦でも、柴田勝家との戦いでも、2倍以上の兵力で戦っているんじゃ。ランチェスターの第2法則を知っていたかのようじゃの。

織田信長が桶狭間で採用した、「ある局地」で「瞬間的」に競争優位な状況を作り出し、そこで決戦して勝利を収める、という戦法は実は多くの企業のマーケティングにも応用されているんじゃ。
例えばビールのシェア争いなどでも、全国シェアとそれを支える営業マンの数では大手に大きく水を空けられていた企業が、局地戦を展開し、全国の半数の営業マンをある期間だけある地域に集中投入することによって、その地区内の営業マンの数では圧倒的優位に立ち、この地域の居酒屋や酒屋でのシェアを逆転して、オセロのようにシェアを奪って行く戦法なんじゃな。
コンビ二の出展戦略、家電メーカーの製品開発戦略などに応用されておるんじゃ。

BtoBではむしろ製品開発戦略かもしれんの。
インテルの例では、それまで彼らの成長を支えてきたメモリーという分野を捨てて、未知の分野だったセントラル・プロセッサーに主力製品を転換したんじゃ。これはメモリーという市場での競合優位性が無くなり、日本メーカーにシェアを奪われた状況でのギリギリの判断だったのじゃが、結果的にインテルはCPUの巨人として繁栄し、市場を奪ったはずの日本メーカーは、今度は韓国などのアジアメーカーにその市場を奪われてニッチもサッチもいかない状況になっておるんじゃ。

総合力で劣る弱者が、その力を分散させてしまったら、ますます勝つ可能性は無くなるんじゃ。
そこで、弱者は勝てる状況を探すか、自ら戦略的に勝てる状況を作り出すしかないのじゃよ。つまり、「局地戦の状況を作る」ことは、言い換えれば「市場を細分化する」ということになるんじゃからの。
弱者はテリトリーや商圏の中に局地戦の状況(市場)が無ければ、市場をさらに細分化して、局地戦の状況を作り出せば良いわけなんじゃよ。
つまり顧客層を色々な角度から細分化し、その中の「ある顧客層だけを対象とした戦い」を展開することがマーケティングの局地戦戦略であり、STPであり、それを統計的にクリアに説明しているのがランチェスターなんじゃ。

シンフォニーマーケティングでは、STPを「勝てる土俵を探すこと」と表現するんじゃが、ランチェスターの戦略でもまったく同じ事を提唱しているんじゃよ。
じゃからワシがコンサルティングをする時にも必ずこう質問するんじゃよ。

「今あなたの会社が戦っている市場、そこは本当に御社が勝てる土俵ですか?」

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