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2016.11.11

Nifty売却に見るマーケティング近視眼

世界中に衝撃を与えたセオドア・レビットの「マーケティング近視眼」。50年以上も前に示された現象が現在の日本でも散見されます。今回は、富士通のNifty事業売却についてマーケティング近視眼の視点からノヤン先生が解説します。

2016年10月14日の新聞で富士通のNifty事業売却が報じられたんじゃ。今日はこれを例にして「マーケティング近視眼」を書こうかの。

「マーケティング近視眼(Marketing Myopia)」は、最も偉大なマーケティング学者のひとり、ハーバード大学大学院でマーケティングの教鞭を執っていた セオドア・レビット博士が、今から50年以上前に世界に衝撃を与えた論文なんじゃ。
この論文がハーバードビジネスレビュー誌に発表されるや、世界中のマーケティングや社会学の学者や学生の間で話題になり、さらに多くの経営者に影響を与え、この論文が収録された書籍は世界的なベストセラーになり、米国やヨーロッパの企業がマーケティングを企業経営の中心に据えるきっかけを創ったんじゃよ。

「マーケティング近視眼」については2012年9月のこの講座(今こそ学びたい、T・レビット博士の歴史的な名論文「マーケティング近視眼」)でも説明しているのでそちらも合わせて読んで欲しいのじゃが、要約すると、企業が衰退していった原因のひとつはその企業の経営者が「マーケティングの近視眼」に陥ったからだ、と論破しておるんじゃ。

この現象は今の日本でもあちこちで本当に多く目にするんじゃよ。例えば新聞じゃな。ほとんどすべての新聞社は自分たちを、「紙に印刷した新聞を全国の販売店を通して宅配するビジネス」と定義しておるんじゃ。ペーパーレス、電子化の流れが10年以上前から進行していて、それを十分に承知しているのに新聞販売店や印刷工場を含む自社の構造を変えられず、未だ軸足を紙から変えられずにいるんじゃ。その結果、毎年発行部数を急激に減らしてにっちもさっちも行かない状況に追い込まれておるんじゃ。
もし彼らが自分たちを、取材と編集力を武器にしたコンテンツプロバイダーと定義したらどうじゃろ?現在の姿はまったく違ったものになっておったじゃろう。もちろんその過程で販売店の淘汰や廃業などが起こったじゃろうが、デジタル化は時代の流れなんじゃから、どうにもならない事なんじゃよ。
ワシは2020年の東京オリンピックまで存続できない大手新聞社がいくつも出ると考えておるんじゃ。

さて、話をNiftyに戻そうかの?
ワシはNiftyの衰退も、その原因は自分たちを近視眼で定義してしまった結果じゃと考えておるんじゃよ。

1980年代から90年代にかけて、日本には世界有数の規模と質を併せ持つオンラインコミュニティが存在したんじゃ。今のインターネットとは異なりTCP/IPよりも世代の古いX.25 というパケット交換の規格を用いたネットワークで、米国のCompuServeなどが真っ先に技術とノウハウを確立し、日本では「パソコン通信」と呼ばれておったんじゃ。
草の根BBSなどと呼ばれた小規模なサービスもたくさん在ったんじゃが、商用として普及したのは富士通と日商岩井(当時)がCompuServeからのライセンスを受けてスタートしたNIFTY-Serve(以下Nifty)とNECが独自ではじめたPC-VANだったんじゃよ。

最初からユーザー課金制度をとっていたNiftyは会員やそのコメントに関するルールを制定し、オンラインでの商売や勧誘活動などを禁止したんじゃ。会員はハンドル(仮の名)で投稿することは出来ても、NiftyやNiftyからフォーラムの主催権限を貸与されたスタッフには実名や連絡先が判っているのでコミュニティの治安は守れたんじゃ。
しかもユーザーはNiftyへの課金とは別に回線の通信費まで自己負担しているので、情報の質に対して真剣だったんじゃよ。特にビジネス系や技術系のフォーラムで不勉強な書き込みがあると「もう少し勉強してから書いたらどうでしょう」などとやんわり叱られたもんじゃわい。インターネットの「匿名&無料」という環境とはまったく違った文化を持つ良質なコミュニティが出来ていたんじゃよ。

趣味やビジネス、技術などの分野でフォーラムと呼ばれるコミュニティが数多く立ち上がり、それぞれのフォーラムのシスオペと呼ばれた主催者や、常連の会員はそれぞれのテーマに精通した人が集まるため、地域を越えた同好の人たちのコミュニティは本当にレベルが高く楽しいものだったんじゃ。

例えばワシが参加していた歴史フォーラムには、日本史、世界史だけでなく、地域や年代ごとに電子会議室が分かれており、それぞれで専門的な深い議論が出来たんじゃ。ワシは「草原部屋」という名の主にモンゴル帝国を中心にユーラシアの遊牧民族を研究するコミュニティに参加しておったんじゃが、大学でモンゴル帝国史を研究している現役の学者まで参加しておって、学会で発表された新しい論文などをレビューできたんじゃ。楽しかったのぉ。

また、富士通がやっているNiftyにも関わらずNECユーザーズフォーラムという巨大なコミュニティも存在して、その中には製品ごとの電子会議室が在ったんじゃ。ワシはモバイルギアという小型の通信端末のユーザーだったので、このモバギ部屋にも参加しておったんじゃが、ここにはHPの200LXという小型DOS端末のユーザーが大量に流れ込んでいて、彼らのDOS資産をシェアしてくれたお陰で、この軽くて小さい割にフルピッチキーボードを持ち、単三乾電池で動く可愛い端末を持って世界中旅することが出来たんじゃ。
当時はほとんどの国や地域にCompuServeのアクセスポイントが在ったからの、旅先のホテルなどで、現地のアクセスポイントから入ってNiftyにアクセスし、電子メールやフォーラムでのコメントを楽しむ事ができたんじゃよ。ワシはこのモバイルギアを発売された直後に購入し、翌日それを持って米国に出張したんじゃが、恐らく最初に太平洋を渡って米国からコンピュサーブ経由でNiftyにアクセスしたモバイルギアとして、このフォーラムのメンバーが後に出版した本にも紹介されたんじゃ。

もちろんビジネスのフォーラムも充実しておっての、ワシは主にマーケティングフォーラムの住人だったんじゃが、ここのマーケティングの研究仲間と米国に視察旅行に行ったり、新しいアイデアを電子会議室で発表して意見をもらったりしたもんじゃわい。他にもビジネスインキュベーションフォーラムとか、Fax活用フォーラムなどがあって、マーケターが熱く語り合っておったんじゃよ。オンラインだけでなくオフライン、つまりリアルでも活発に会っていてこれを「オフ会」と呼んだのもNifty文化なんじゃ。友達もたくさんできて、ここでの出会いから発生したベンチャービジネスも数多くあるんじゃよ。懐かしいの。

こうしてNiftyは1990年代後半の最盛期には独自の文化と200万人を超える会員数を抱えるまでになったんじゃ。

ところがじゃ、この頃から急激に普及してきたインターネットに対しての戦略をNiftyは完全に間違えてしまったんじゃ。その頃になると経営の主導権を富士通が握るようになっていたので、自分たちを「パソコン通信のインフラ提供事業者」と定義してしまったんじゃよ。
インターネットがもの凄い勢いでユーザーを増やし、さらに米国で大成功していたアメリカオンライン(AOL)が日本に進出してきたこともあって、富士通は大慌てで自社のISP(インターネットサービスプロバイダー)であるInfoWebとNiftyを統合し、「NiftyはISPです」と宣言してしまったんじゃ。

この宣言と同時に、当時いくつかのフォーラムで発生していた、ヒートアップした議論が訴訟に発展したり、フォーラム主催者が不祥事を起こすなどの問題に嫌気がさしたNiftyは、フォーラムを縮小する方向に舵を切ったんじゃ。その結果多くのヘビーユーザーはNiftyを見限ってインターネットへと移ってしまい、フォーラムはどんどんさびれてしまったんじゃよ。

パソコン通信とインターネットの違いはネットワークとプロトコルなんじゃが、テキストベースでコミュニティを楽しんでいた人にはあまり関係の無いことだったんじゃ。当時のインターネットはマルチメディアで写真も音声も動画も扱える、と言われておったのじゃが、実際は回線スピードやデータ圧縮技術の問題でマルチメディアとしての活用はずっと後のことで、2000年以降にインターネット上で立ち上がったミクシィやYubitoma、2ちゃんねるなどのSNSはほとんどテキストコミュニケーションだったんじゃよ。

映画や旅行、読書や料理などの趣味系、IBM、NEC、Appleなどのテクノロジー系、そしてマーケティングやベンチャーなどビジネス系のあれ程までレベルが高く真剣で真摯な、しかもボランティアベースで運営されていたコミュニティはその後ついに出て来なかったし、それを主催していたNiftyもその途方も無い価値に気がついていなかったんじゃ。あの情報量、あのリアルタイム性、あのネットワーク、あの自分のコミュニティへの帰属性の高さ、そしてそれらの膨大なログデータ・・・、その価値を正確に理解して自分たちの定義に織り込んでいたらと考えてしまうんじゃよ。
もしあの時、Niftyが自分たちを「ネットワークのインフラサービス」という近視眼ではなく、「多様なテーマを持つ200万人のオンラインコミュニティの主催者」と定義し、それをそっくりインターネット上に移管したらどうだったじゃろう?とワシは今でも時々想うんじゃよ。もしかしたら日本発の世界規模のオンラインコミュニティサービスに進化していたかも知れんとな。

治安が良くて利便性が高く、しかも議論のログをツリー構造のままライブラリー化して閲覧できるサービスは世界を変えたかも知れんじゃろう? パソコン通信と呼ばれたNiftyは実は文化そのものだったんじゃよ。近視眼的な定義は時に文化まで破壊する、という悲しい例が、昨日のニュースで終焉を伝えられたNiftyだったんじゃ。

マーケティング近視眼、すべての経営者に読んで欲しい論文じゃな。

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