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2020.11.16

スペシャル対談「成功の鍵は、変革を恐れないトップの覚悟と現場のチャレンジ 企業改革の実現に向けた「面のコミュニケーション」とは」

当社代表の著書「BtoBマーケティング偏差値UP」に帯コメントを寄せてくださった、パナソニック コネクティッドソリューションズ社 常務の山口有希子さん。今回の対談では、圧倒的な進化を遂げた同社のマーケティング活動について、トップの覚悟や現場の熱量、そして山口さんがボードメンバーと現場をつなぐ架け橋となり、現在のマーケティング組織を構築するまでのチャレンジのお話をお伺いしました。

庭山:この度は帯コメントをいただきありがとうございました。山口さんからいただいた帯コメント「マーケ部門だけでは会社は変われない」は、私がこの書籍を通して一番伝えたかったことが一文で、かつ力強く表現されていて、本当に感激しました。
本日は山口さんがパナソニックに入社されてからのお話をお伺いしたいのですが、読者の方はこれまで山口さんがどのようなキャリアを歩まれてきたのかにも興味があると思います。新卒で入社されたのは、確かリクルートでしたよね?

1億円案件から飛び込み営業まで。ひたすら走り続けた20代が私のキャリアの原点

山口:はい、新卒はリクルートコスモスです。最低価格1億円越えのリゾートマンションを新卒1年目で売るという、当時はなんて無謀なことをさせる会社だと思っていました笑 マンションを購入される方は、企業のオーナーから自転車でふらっと現れる地元の資産家の奥様と本当にさまざまで、当時九州から上京したばかりの私にとってはカルチャーショックであり、本当に不思議な体験でした。その数ヶ月後にバブルがはじけ、当時リクルートコスモスで採用された約600名の新卒の大半は関連会社に移動しました。私が配属されたのは、フロムエーやとらばーゆなどの求人媒体の広告営業の部署。案件単価が1億円超えからの数万円の仕事になり、一日100件超えの飛び込み営業をこなすという、これまでとはまったく違う世界でした。
リクルートは徹底的な成果主義の会社で、当時は自転車に営業ツールを携えてとにかく駆けずり回る日々。当時担当していた媒体は週2回ペースで発行があり、常に回転している状態でしたね。

庭山:当時のリクルートの働き方はすごかったですよね笑 武勇伝の数々は私も聞いています。

山口:「売上を上げているか」が評価基準で、そこは非常にシンプルでしたね。成果主義の最たるものでしたが、個性的でモチベーションが高い人も多く、職場はとても楽しかったです。そんな環境でしたので、先輩や同僚の多くは30歳になったらスキルを生かして転職する、人脈を創って起業することを意識していましたね。
一方であまりにもハードに働いたため、アトピーが悪化するなど体に変調が出てきました。負けたくないという思いから、退職目標を「優秀営業マン賞」2回連続獲得に設定し、達成した後に退職しました。
やめた後のことは考えていませんでしたが、ちょうどその時はバブル崩壊直後。第二新卒、総合職、コネなしの就活はハードルが高かったですね。
多くの会社の採用で落ちた後、名古屋に本社がある製造業系商社に女性総合職第1号として採用されました。そこではマーケティング、経営企画、営業、日本の生産拠点をアジアに移すプロジェクトなど、幅広く経験しました。特にラッキーだったのは、同社役員にはトヨタやデンソー出身者が多く、生のマネジメントトレーニングを受けているような日々でした。おもしろいやつだとかわいがってもらい、今でもつながっています。

マーケティングは強い部門ではない。「一緒にやりたい」と思ってもらうためのチャレンジとは