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2023.03.27

スペシャル対談 マーケティングと営業は「化学」である!営業出身の経営者が推進し、体系的にマーケティングを社内に“インストール”できた方法とは?

佐藤 幸征氏 略歴

トランス・コスモス(株)にてデータベース事業部の営業職を経験後、1998年に、ビジネスデータの設計と標準化に特化した方法論を保有するコンサルティングファームである(株)データ総研に入社。
営業グループ配属後、2007年6月 取締役 2019年6月 専務 取締役。2019年8月 代表取締役社長に就任。現在に至る。

株式会社データ総研 事業内容

ビジネスデータの標準化・設計手法をベースに、企業活動に必要なデータを適切に管理する「データマネジメント」を推進していくためのコンサルティングと教育研修を事業としています。

  • データマネジメント組織/体制・運用プロセス規約策定のコンサルティング

  • システム再構築等の企画/要件定義、データ設計のコンサルティング/MDM (マスターデータマネジメント) 導入支援/データマネジメント人財の育成(研修・教育、OJT)

両社の出会いは、ある1冊の書籍がきっかけだった
─データ総研様と当社はもうかなり長いお付き合いになりますが、そもそも出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

佐藤氏:2000年頃だったでしょうか。庭山さんがジェームズ・マーチン(James Martin)の書いた本を探していて、ある方のご紹介でたまたまうちの会社にいらっしゃったことですね。

ジェームズ・マーチン著

ジェームズ・マーチン著

庭山:そうでしたね。もう若い人は知らないかもしれませんが、ジェームズ・マーチンはイギリスのエンジニアで、データモデリングの草分け的な存在です。当時、私は彼が書いた開発システムであるRAD(ラピッド・アプリケーション・ディベロップメント)を学びたいと思っていました。でも、日本ではその本が絶版で手に入りませんでした。それを探して、探してやっとたどり着いたのがデータ総研さんで、しかも当時は会社が目と鼻の先だった、という(笑)。まだ佐藤さんが社長ではなかった頃の話です。

佐藤氏:それこそ当時は、私も中途入社してまだ2年ほどしか経っておらず、自分自身が一生懸命RADを勉強していた時期でした。そうしたら、まったく知らない人が突然「RADの本を借りに来るから」という話になって・・・。
私はもともと営業職で、マーケティングのマの字も知りませんでした。インターネットこそありましたが、顧客データベースをどうしていたかと言えば、問い合わせや資料請求ハガキで保持している名刺情報を印刷し、ご本人にお送りして「変更があれば修正して返送してください」という工程を経て最新化していた時代です。

そうした管理をすべて一人の従業員が担っていて、あまりにも大変になってきたため、顧客情報管理のアウトソーシングについてご相談したのが、シンフォニーマーケティングさんとの最初の関わりでした。

庭山:1990年代から続いている会社は古いデータベースを使っていることが多く、それを切り替えるときに当社にご依頼いただくケースが結構あります。

コンサルティング会社ならではの課題と、データ総研様はどう向き合っていったのか
─当時はどのようなことが課題だったのでしょうか?

佐藤氏:その頃の当社の課題は、受注・売上の平準化と安定化でした。弊社データ総研はコンサルティングの会社なので、コンサルタントの稼働余力が在庫のようなものです。でも人工(にんく)の商売ですから、いくら数字が足りないからといって翌月に倍以上働くことは物理的にできませんし、逆に引き合いが多すぎてもキャパシティ以上の対応は不可能です。

また現在は違いますが、以前はコンサルタントがチームで活動すること自体がそもそも稀でした。会社全体の売上をチームで作るというよりも、一人ひとりのコンサルタントが、個人で目の前の課題に真正面から向き合っているような世界だったわけです。

だからこそ営業としては先の予測が立てにくく、いわゆる“日照り”と“洪水”を繰り返している状況だったのです。案件が立て込んでいる洪水状態だと目の前のことに追われてしまいがちですが、日照りに備えて何か新しいことに取り組む必要性をいつも感じていました。