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2004.12.27

マーケティングの実務家を育てる3つのアプローチ

出典:月刊「アイ・エム・プレス(I.M.press)」 / 庭山一郎

特殊な防錆塗料を製造・販売しているB社。マーケティング部門が新設されたが、そのスタッフの多くはマーケティングの初心者だった。結果のあげられない部門は、他部署から軽視されるようになり、存続の危機に瀕してしまった。では、どうやってマーケティングの実務者を育てたらいいのか。

データベース・マーケティングを上手に活用し利益に結びつけるには、適当な人材とその人材に求められる知識を含めたスキルが不可欠である。

そこで今回はマーケティング部門が新設されたにもかかわらず、機能不全に陥っているB社の症例をもとに考えてみた。

まずは人材の育成と基礎知識を

日本でデータベース・マーケティングがうまくいかない原因は、多くの企業がデータベース・マーケティングを実践するために必要な知識や経験を持つ人的リソースを抱えていないことだ。これは、見込客リストの収集とその名寄せ(マージ・パージ)から始まる一連の作業フローを、社内でこなす必要がなかったからである。

実務のマーケターには学位は不用だが、今起きている現象や、新しい企画をロジカルに説明できなければ、オペレータにはなれてもディレクターやプランナーには決してなれない。目の前のソリューションに実装されている計算式のメカニズムを知っているのと知らないのとでは活用できる度合いに大きな違いがあるからだ。

「いくつもの学問が複雑に絡み合っている」ことは、マーケティングの面白さでもあり難しさでもある。社会学や経済学でもあり、統計学、心理学とも言える。私は企業のマーケティング戦略を立案・実行する人材を養成するためには【戦略論】【統計学】【行動心理学】の3つの学問体系から同時にアプローチするのが最も早いと考えている。

戦略論のアプローチ

戦略論を学ぶことは極めて重要だ。マーケティング戦略を立案するときに、どういう基本戦略を選択するかは、マーケターに課せられた最も重要なミッションだからである。「戦術のミスは戦術で修正できるが、戦略のミスは戦術では修正できない」という原則がある。これの切り分けができないと「戦略と戦術を同じテーブルで論じる」という最悪の現象が現れ、噛み合わない議論に神経をすり減らすことになるだろう。戦略論では、ポーター、アーカーやミンツバーグ、キャズム論のムーアなどが主流を成す。

しかし私は敢えてクラウゼビッツやジョミニ、マハンなどのいにしえの戦略家の研究を勧めている。カール・フォン・クラウゼビッツはナポレオンと戦ったプロイセンの参謀であり、アンリ・ジョミニはナポレオンの幕僚だった。ナポレオンという世界史に名を刻む天才的戦略家を挟んで向き合っていた同時代の2人が立てた理論が、現代の戦略論の基礎を成している。

ジョミニの理論を海軍運用に引きなおしたのが1880年代に活躍したアメリカのアルフレッド・マハンであり、そのマハンにアメリカで直接師事し、その影響を強く受けたのが、日露戦争の日本海海戦の作戦計画を立て、圧倒的に不利な戦力で、世界有数の規模を誇ったロシアのバルチック艦隊を全滅させて世界中の度肝を抜いた秋山真之である。

百貨店やショッピングセンターなどの大型商業施設の戦略はこの海軍型が参考になるし、逆に小単位での作戦行動が可能な法人営業(B to B)などは陸軍型が参考になるだろう。

余談だが、私の会社、シンフォニーグッドスタッフがインターネット上で有望見込客の絞り込みに使うシステムは潜水艦同士の魚雷戦のときに相手までの距離や深度を正確に測定し、確実に魚雷を命中させるための技術にヒントを得て開発したもので、その名もこの軍事技術の名前をそのまま取って「ActiveSonar:アクティブソナー」と名付けさせていただいた。

統計学理論のアプローチ

日本のマーケターの特徴のひとつは数値目標とそのベンチマークを軽視することだ。マーケティングの実務で使う統計の多くは「算数」レベルの簡単なものである。その算数レベルすら理解しないで、高額な解析ツールを導入するから困るのだ。例えばデータマイニング・ツールを導入する企業の担当者が代表的な多変量解析である重回帰分析すらやったことがない。

だから日本には存在しない富裕層の住居エリアを探してクラスター分析ツールを導入したりする企業が後を絶たないのだ。統計という意味ではランチェスターを学ぶことは非常に重要だと思っている。例えば織田信長の桶狭間の合戦はランチェスターの弱者の戦略にある「局地戦」できれいに説明がつく。奇跡でもなんでもない。総兵力では今川軍2万5,000に対して織田軍は2,000だとしても、大軍が動きにくい田楽狭間という局地で瞬間的に互角に近い状況を作り出したのだ。

兵力が互角であれば奇襲をかけた方と掛けられた方では勝敗は明らかだ。フレデリック・ランチェスターは第一次世界大戦の時代に生きたイギリス人で航空機のエンジニアである。ドイツ空軍との空中戦でイギリスの戦闘機が次々に撃墜されるのを見て、その空中戦の勝敗と、飛行機の数や搭載している武器の数や口径の大きさなどとの因果関係から定理を導き出した人である。織田信長は無論、ランチェスターよりはるか以前の人だが、どう考えてもランチェスターが撃墜された飛行機の穴を丁寧に数えて発見した定理を理解していたとしか思えない。

「戦略論のアプローチ」で触れた日本海海戦では、縦列で進んでくるロシアのバルチック艦隊に対して、日本艦隊は敵前で直角にターンした。最も弱い横腹を敵前にさらすことになる無茶な戦法ではある。しかし、戦艦の大砲は艦の前後に取り付けてある。前進してくる敵は艦の前方に取り付けた大砲しか使えないのに、横を向いている日本艦隊は前後の主砲・副砲をほとんど使うことができる。

つまり横を向いた時点で、火力の兵力差を一気に互角近くまで持っていくことができたのだ。これが世に言う東郷ターンである。基本的な顧客セグメント理論であるRFM分析も、その会社では「R」「F」「M」のどれを重視し、どれを無視するかを決めなければ実務には落とせない。ならばこの3つを変数として多変量解析にチャレンジするしか方法はない。DMを出す会社は多いが、メッセージ・インテグレーションを数値データとしてヘビー・ローテーションの効果ポイントを出せるマーケターを抱えている企業はいったいどのくらいあるのだろうか。

行動心理学のアプローチ

心理学に関しては、ソクラテスやプラトンまで遡って勉強する必要はない思う。複雑系を学んで曼荼羅の意味を論じる必要もないだろう。しかし、マーケティングに大きな影響を与えたと思われる人、サイバネティクス理論の提唱者でコンピュータ・サイエンスに多大な影響を与えたノーバート・ウィナーや、それを人間の心理に合わせてサイコ・サイバネティクス理論を構築した整形外科医でもあるマックスウェル・マルツなどは勉強したほうが良いと思う。

例えば、アムウェイなどに代表されるマルチレベル・マーケティングをひとつのカテゴリーとして説明するにはこの理論を理解する必要がある。このマーケティグを「好き嫌い」で論ずるのではオバサンの井戸端会議となんら変わらない。グループ・インセンティブという相互監視がレバレッジとなる利益分配の仕組みと、サイコ・サイバネティクス理論の両方の知識がないと、異常に見えるほどのモチベーションで訪問を繰り返すあのマーケティング手法の説明がつかないのだ。逆にこの両方を理解できていれば、自己啓発セミナーや、訪問販売を始め現代のアフィリエイト・プログラムなどの基礎となっている部分が理解できる。

では、こうしたマーケティングを担当させるスタッフを育成しなかったことが原因で危機に陥ってしまった企業の症例を見てみよう。特殊な防錆塗料を製造・販売しているB社は、企業改革を掲げて3年前から組織を大幅に変更した。中でも大きな変更点は、従来からの代理店に加えて直販部門を持つことで、顧客の近くで商品を開発し、サービスを提供しようという方針を打ち出したこと。この方針に基づき、マーケティング部門を新設し、過去の名刺情報や展示会・セミナーなどで収集したリストと顧客データを統合、整理してデータベースに格納した。そして、データを格納する顧客管理システムと、ユーザーサポートのためのコンタクトセンターを新設したのだ。

しかし、そうした投資がさっぱり利益を生まない。直販営業部隊は、顧客を回って着実に売り上げを稼いでいるが、データベースを活用している人はほとんどいない。営業スタッフの案件を管理する目的で導入したSFAも、営業が誰も入力しないので、データは一向に更新されない。データマイニング・ツールでさまざまな顧客分析をしても、営業からは、「今までそんなことも知らなかったのか・・・」と言われる始末で、マーケティング部隊は孤立し、ただのコストセンターになってしまっていた。

B社は新たにマーケティング部門を作ったため、そのスタッフは広報や営業、管理などから集められた人たちだった。社内に存在しなかった部門なので何のナレッジもなく、誰もがマーケティングについては素人だし、どうやって学んだら良いのか、どの本から読んで良いのかもわからなかった。良い企画を考えてもそれをロジカルに表現できないために、いつも会議で却下されてしまう。企画の有効性を示す数値の取り方も、集計の仕方も知らなかったのだ。そんな中で営業や情報システムから強烈な意見をぶつけられ、すっかり自信を喪失してしまった。なんでこんな部署ができたのか、なんで自分たちが配属されたのか・・・そんな愚痴ばかりがマーケティング部門を支配し、問題を切り分けたり、原因やメカニズムを解析し、その原因を解決することはまったくできていない。

展示会に出展する予算、セミナーを開催する予算も削られ、ますますマーケティング活動ができなくなっている。このままでは近い将来マーケティング部門は解散になり、導入したシステムの大半は埃をかぶることになるだろう。ここまでくると一時的にプロの手を借りマーケティングの基本設計をしっかり再構築するしかない。どこでどうやって見込客のリストを集め、どのようなルールとフローで管理し、どうコミュニケーションを取り、どうやって絞り込んでレポートするか・・・そして、それを実行するときにどこにどんなスキルの人材と機材とシステムが必要かを整理し、そのうちのどこを社内で担い、どこを社外のリソースで補うのかを決めなければならない。

切り分けと整理は第三者でないと難しい。そして大事なことはマーケティングの主導権はマーケティング部門が握るということ。情報システム部門や広報部門ではなく、また見込客(リード)を集めたり育てたりすることが苦手な営業部門でもない、マーケティングはマーケティング部門がしっかり仕切ることが重要であり、だからこそ、仕切れるだけのスキルや、育てるプログラムが必要なのだ。

*****

「データベース・マーケティングは日本には向いていないのではないか」「アメリカのような広大な国土の国で発達したマーケティングで、日本には必要ないのではないか」・・・などという話が今でも横行している。何よりも危険なのは、企業の経営者や、事業部長など、当初は顧客や見込客のデータベースを構築することでマーケティングの効率を上げ、売り上げやCSなどの点から企業の競争力を強化できる、と考えていた人が、うまくいかない現実にうんざりしはじめていることだ。

そうした社内の雰囲気は、マーケティング部門が予算を取れなくなるという現象で姿を現す。マーケティングの延長線上に「成功」があるという確信を持てないでいるのだ。本当にこのデータベースとダイレクト・メディアを使ったマーケティングは日本に向いていないのだろうか?もう追加投資をする価値はないのだろうか?答えは「NO!」である。

特にB to B(法人営業)では、このマーケティング以外に営業効率を根本的に上げることはできない。私はこう考えている。あまり知られていないことだが、かつて250年前には日本は間違いなく世界最高のデータベース・マーケティング先進国だった。加賀百万石の礎を築いた前田利家の曾孫にあたる越中富山藩の二代藩主前田正甫(まさとし)が病弱であったために、自ら薬の調剤に熱心に取り組んだことがそのルーツと言われている「富山の薬売り」。その富山の薬売りたちが顧客管理に使っていた大福帳は、まさにデータベース・マーケティングのルーツと言って間違いないと思う。

あの時代、薬売りが遠方に販売の旅に出るときは、自分の背中に担げるだけの薬しか持っていけなかった。つまり、在庫の量的規制があったのだ。売れ筋商品を欠品させる辛さは、店頭販売も訪問販売も同じである。だから彼らは富山を出るときに、これは安芸のご隠居さんの分、これは備前のお武家様の奥方の分と小分けに梱包して富山を出ていた。彼らは前回訪問した際に買っていただいた薬と量、その処方を記帳しているので、今そのご隠居さんの薬箱にはいくつ残っているかを把握できる。だから全部お買い上げいただける数量を梱包して持っていけるのだ。

当時の大福帳やその使い方を米国のデータベース・マーケティングの第一線にいる友人に見せたことがあるが、これを本当に250年前にやっていたのか、とショックを受けていた。米国がまだ国家として成立する前の時代であるから、驚くのも無理はない・・・。

だから、日本人のカルチャーやライフスタイルにこのマーケティングが合わないなどということは絶対にないのだ。ただ、マーケティングは需要と供給がバランスしてから始めてニーズが生まれる概念だ。戦後のように供給が需要に追いつかなければ「作れば売れる」というメカニズムの中でマーケティングの必要性はまったくない。

その後、需要と供給がバランスしてきても、価格戦略などで十分な差別化ができるので、体系的なマーケティングのニーズはない。チラシで玉子パックを10円下げると主婦が300m歩くと言われた時代である。この時に必要なのはいかに早く供給体制を作るかというノウハウなのだ。日本のマーケティングにとっての悲劇はこの後に起こった。せっかくマーケティングのニーズが出てきた時に日本はバブルが弾けて長い不況に入ってしまった。マーケティングを変えるということは一時的に企業の体力を消耗する。

特に保守的な日本企業では余程危機的状況になるか、未来を睨んだ投資ができるほど景気が良いか、そのどちらかでなければマーケティングを変革することは難しい。冒頭に書いた、この10年でさらに米国との格差が拡大した、と感じるのはこの点である。

しかし私は日本のデータベース・マーケティングを米国と肩を並べるまでに引き上げることを願って毎日現場で格闘している。必ずそうなると信じているし、私と私の会社がそのための小さなエンジンのひとつになれたらと考えている。やがて日本から世界最先端のマーケティング・ソリューションを世界に輸出するようになるだろう。

今、この国のデータベース・マーケティングが必ずしもうまくいっていないことは、将来世界のトップになるために与えられた試練だと考えている。この連載を1年間お読みいただいた方は、いろいろな企業やポジションでマーケティングにかかわっている方だと思うし、私は勝手に戦友だと思っている。

想いばかり先行してまとまりのつかない拙い文章に1年間お付き合いいただいたことを心から感謝し、また心からお互いの健闘を誓い合いたいと思う。出版社のご配慮で、どうやら次号からの新しい企画でも出番をいただけるらしい。またお会いしましょう。1年間ありがとうございました。

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