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ホーム > 特集 > 再掲によせて T・レビットのホールプロダクト戦略から「iPad」を眺めてみれば
2012.12.14
これは2010年の春にサンフランシスコのアップルカンファレンスでiPadが発表された直後の、未だ発売される前に書いたものなんじゃ。これを再掲するのは何もワシの予言が当たったことを自慢するためではないんじゃよ。
そうではなくて、製品やサービスの勝敗を決めるのが製品そのものよりも周辺も含めたホールプロダクトだということを理解しないで、競合製品を投入する企業が跡を絶たないからなんじゃ。
確かにタブレットは多くの企業が次々に新製品を発売しておるが、インターネットのパケットを比較すればその大半はiOS、つまりiPadからのアクセスだと判るんじゃ。
レビット博士の提唱した「ホールプロダクト」は、ジェフリー・ムーアの名著「キャズム」でも紹介されておるが、これをしっかり理解しないと、市場で勝つことは難しいんじゃよ。
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中級者向け講座
Appleは今年(2010年)の1月にサンフランシスコで開催されたイベントで「iPad」を発表したんじゃ。
かねてから噂されていたタブレット型の端末で、「どうせ大型のiPhoneだろ」という口の悪いテクノロジーマニアの予想通りの製品だったので、ネットでは失望の声ばかりが聞こえてくるんじゃが、ワシはこの製品は途方もないヒット商品としてAppleの4本目の柱になると確信しておるんじゃ。
「Mac」(コンピュータ)、「iPod」(音楽)、「iPhone」(電話)の次の柱じゃな。
ワシがそう考える理由は、この「iPad」が非常に完成度の高いホールプロダクト戦略を背景に生まれてきているからなんじゃ。
そこで今日はこのiPadを例にして「ホールプロダクト戦略」の話をしようかの。
「ホールプロダクト」とは、このマーケティング講座でも何度か紹介しているアメリカのセオドア・レビット博士(T・レビット)が1960年代に発表した論文で提唱した考え方なんじゃ。
「Whole product」と書くんじゃが、「Whole」とは形容詞で「完全な」「まるごと」などの意味があるじゃろう?
企業が顧客に販売する製品そのものが持つコアな機能と、その製品を購入した人や企業がその製品が発揮してくれると期待する機能の間には常に大きな差があるもんじゃ。この差を埋めない限り製品は購入者の期待に応えることはできずに、購入者は騙されたと思って離れていくか、自力で予想外の予算を使って必要な機能を買い足さなくてはならないんじゃよ。
そのために、本来の製品の周辺に補助製品や補完サービスを数多く揃えることで「ホールプロダクト」つまり「完全な製品」を実現するんじゃな。
ちなみにレビット博士はこのホールプロダクトを4つのプロセスで説明しているんじゃ。
コアプロダクト:
企業が出荷する製品そのもの。
期待プロダクト:
顧客が製品を購入するときに「こうであるはず」と期待している機能(製品)。
顧客の購入目的を「最低限満足」させるためにそろっていなくてはいけない製品やサービスで、パソコンで言えばWindows OS(基本ソフト)や、判りやすい操作マニュアルなんじゃ。「あって当たり前」というやつじゃな。家電製品であればサポートセンターもこれに該当するじゃろう。
車で言えばエアコンやカーラジオなどがこれにあたる。今時エアコン別売りの車を販売しているディーラーの営業は毎日購入者に「付いているのが当たり前でしょ!」と叱られて辛い思いをしておるじゃろうの。
拡張プロダクト:
豊富な補助製品や補完サービスでコアプロダクトの機能を拡張した形であり、顧客がその製品を購入した目的を最大限満たす製品・サービスがこれに該当するんじゃ。
パソコンであればマイクロソフトのOfficeやバックアップ用の外付けハードディスクなどがこれに当たるじゃろう。携帯電話であれば高解像度のデジカメ機能であり、インターネット接続機能、お財布機能などじゃし、車であればGPSやワンセグ機能付きのカーナビや、iPodの接続端子などがこれに当たるじゃろう。
理想プロダクト:
さらに数多くの補助製品や補完サービスが揃うことで、顧客がその製品を活用できる理論的な上限をレビット博士は「理想プロダクト」と名づけたんじゃ。
むろん、ここまで到達した製品ラインはほとんどなく、理想プロダクトまで到達すれば、市場の中で圧倒的なポジションを獲得できるだろう、とT・レビット博士は予言しているんじゃよ。
ワシは、iPadこそ理想プロダクトを実現した稀有の商品だと考えておるんじゃ。
ちょっとだけ10年前に遡ろうかの。デジタル音楽革命が起きた2001年じゃよ。
この年にAppleは「iPod」を初めてリリースしたんじゃ。実はその時、既にMP3プレーヤー市場には数多くの競合製品があったんじゃ。
しかし、それらは単に持っている音楽CDをコンピュータでMP3フォーマットに変換したものを取り込んで再生するだけの機能しかなかった。それでも、ジョギングや通勤で音楽や英会話を楽しみたい人にはそこそこ受け入れられていたんじゃよ。
そこにAppleが「iTunes」という圧倒的に使いやすいデジタルオーディオライブラリーソフトと一緒にiPodをリリースしたんじゃ。
当初はApple社のMac OS上でしか動作しなかった「iTunes」は2003年にWindows版をリリースし、さらに段階的に「iTunes Music Store」という音楽・テレビ番組・映画のオンラインショップ機能や、Podcastと呼ばれるインターネット放送機能、ビデオ再生機能、ビデオレンタル機能などを次々に加えたんじゃ。
またナイキと組んでiPodを組み込んだランニングシューズの開発や、アメリカで販売される全ての車にiPod用の端子を標準装備させるなどして、せっせとホールプロダクトを揃え、競合を圧倒したんじゃ。
また、アクセサリーと呼ばれるサードパーティーが製造・販売するiPod用のケースや、iPodのドック機能を持ったスピーカーなど、何千種類もの周辺製品が発売され、中にはトイレの壁に付けるトイレットペーパーホルダーにスピーカーを付けたiPod周辺製品まで発売されたんじゃよ。
MP3プレーヤー単体としてはiPodよりも高品質だという製品も在ったんじゃ。音質やバッテリー時間などのスペック面ではの。しかし、マイクロソフトの「Zune」も含めて、誰もiPodに比肩するホールプロダクトを揃えることができず、その結果2010年までの9年間でiPodの累計販売台数は世界で2億5000万台に達したんじゃ。同時に「iTunes」も音楽ソフトの販売では世界一になったんじゃ。
まさにモンスタープロダクトじゃよ。
このiPodに電話機能と、インターネットアクセス機能を付けて、「マルチタッチ」という指先で操作するユーザーインターフェースを搭載したのが2007年にリリースした「iPhone」なんじゃ。
発売当初はブラックベリーなどのスマートフォンと呼ばれる高機能携帯電話の競合製品と見られたのじゃが、ホールプロダクトという視点で見ればまったく違う製品だと気付くはずじゃ。
大ヒットしたiPodの機能とホールプロダクトをそっくりそのまま引き継いだ上に、Macを支えるオペレーティングシステム(OS)の「OS-X」を搭載し、iPhoneで動作するアプリケーションを購入できるオンラインショップの「App store」がオープンしたんじゃ。
このApp storeはiPhone用のアプリケーションを開発した人が登録して販売することができるオンラインショップなんじゃ。たった1年半で14万種類ものソフトがリリースされ、合計で30億本もダウンロードされたんじゃ。これも凄まじい数字じゃろう。
AppleはこのApp storeを持つことでiPhoneのホールプロダクトをあっという間に途方もない質と量で揃えてしまったんじゃよ。
さらにApple製品のホールプロダクトの重要な要素としてリアル店舗としてのApple Storeがあるんじゃ。Appleの直営店舗で、製品を見て、触って、購入できるだけでなく、MacやiPhoneの活用教室やジーニアスと呼ばれる上級サポート要員が相談にのってくれるんじゃ。このApple Storeが2010年2月現在で世界に約290店舗在り、年間2億人もの人が利用しているんじゃ。ハイテク製品にとってサポートは期待プロダクトの重要な要素なんじゃが、Appleはここでも競合を圧倒しておるんじゃよ。
そして2010年に「iPad」じゃ。
最も洗練されたコンピュータである「Mac」と、最も洗練されたMP3プレーヤーの「iPod」、最も洗練された電話の「iPhone」、これらの全てのホールプロダクトをそのまま引き継いで登場したのがこの「iPad」なんじゃ。
「iTunes」で音楽や映画やテレビ番組を購入でき、「App store」でソフトウェアを購入でき、iPadと同時に発表された新しい「iBooks」で本や新聞や雑誌のデジタル版を購入できるんじゃ。
小さなiPhoneで新聞を読むのはあんまりスマートではないじゃろう。雑誌も本も、映画のDVDも、インターネットのブラウジングも、本当はもっと大きなスクリーンで観たいものじゃと思うんじゃ。メールを書くときにも、やはり大きなスクリーンとフルピッチのキーボードが欲しいじゃろう。もちろんAppleにはsafariという素晴らしいブラウザもメールソフトもあるから、それらを全てこのiPadで使えるし、その上Mac用に開発された写真や音楽を楽しむためのソフトも、ビジネスのためのソフトも全て使えるんじゃよ。
このiPadとiPhoneはAppleが今までターゲット外に置いていたビジネス市場への参入の戦略商品にもなると考えておるんじゃ。
あ~今すぐにでも欲しいもんじゃのぉ。
T・レビット博士が1960年代に提唱したこのホールプロダクト戦略に詳細な解説を加えているのが、ジェフリー・ムーアの名著「キャズム」なんじゃ。このキャズムの中でムーアは、イノベーションのベルカーブとホールプロダクトの関係について興味深い考察を加えているんじゃよ。
つまり、初期市場のイノベーターやアーリーアドプターに対してはコアプロダクトだけでも勝負できる。なぜなら初期市場のユーザーは自分たちでホールプロダクトを構築するスキルを持っているし、むしろそれを楽しむ人たちだからなんじゃ。テクノロジーマニアは自分でマザーボードやハードディスクを買ってきてパソコンを自作するじゃろう? あんな感じで、足りないものは自分で揃えてしまうんじゃよ。
しかし、その製品がキャズムを超えて、マジョリティーと呼ばれる主要な市場に入ってくると、勝負の鍵を握るのはコアプロダクトの機能やスペックよりも、むしろ周辺の期待プロダクトや拡張プロダクトになる、と説いているんじゃ。
これはマーケティング戦略を立案する上で極めて重要なポイントなんじゃよ。
主要市場を構成している実利主義者たちは自分たちでホールプロダクトを作るなどということは決してしないし、購入した後で期待プロダクトや拡張プロダクトが不足して、結果として期待した成果を得られなかったら、「騙された」と考える人たちなんじゃよ。
マイクロソフトが鳴り物入りでリリースしたiPodの対抗製品である「Zune」が大失敗した原因を、多くの人はデザインと考えておるようじゃが、ホールプロダクトという視点で見れば、勝負を決めたのはデザインではなく、「iTunesとそこで手に入るコンテンツ」じゃということがわかるじゃろう。つまりホールプロダクトで負けたのじゃよ。
Googleが2010年1月に「Nexus One」という携帯電話をリリースしたんじゃが、ワシは「Zune」と同じ運命を辿るような気がしてならないんじゃ。なぜなら、この高機能携帯電話(スマートフォン)の市場はすでにアーリーステージ(初期市場)ではないので、製品そのものの機能ではなくホールプロダクトで勝負が決まる戦場になっているからなんじゃよ。
表計算(スプレッドシート)の市場でロータス123、とエクセルが戦っていた頃、ユーザーの判断基準は個別の機能よりむしろ、「書店に多くの本が並んでいる方が安心」という基準だったんじゃ。
代表的な医療機器であるCTスキャン市場でも、製品本体のコア機能である解像度よりも、診療を休まないためのリモートメンテナンスという拡張プロダクトで優位に立ったGEが大きなシェアを握っているのはそのせいなんじゃよ。
さて、このホールプロダクト戦略も、実はいくつかのスタイルがあるんじゃ。戦術と言っても良いかの。
Salesforce.comのようにAPIを公開して連携サービスを増やす戦法もあれば、Appleのように主要な機能は自社開発する、という戦法もあるんじゃ。
そこで次回は、いくつかの製品やサービスの歴史から、それぞれのホールプロダクト戦略を検証してみようかと考えておるんじゃ。
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